AIに代替されゆく編集。そして僕らは「偏愛」に魅了される

ゾエ (Yuki Kawazoe) 
AIに代替される「編集」を経て僕らは「偏愛」に魅了されていく

どうも、古着をこよなく愛するゾエ(@kawazoezoe)です。

この夏一番のお気に入りはこちらです。

AIに代替される編集。そして僕らは「偏愛」に魅了されていく

こだわり、つまり偏愛

それはさておき、古着屋に行くとします。おもわず突っ込みたくなるような風変わりな内装とか、オブジェとか気になったりしますよね。

で、オーナーに「なぜ?」「なに?」と問うと、「へぇー」「まじか」とリアクションしてしまうような回答が返ってくる。

それを「オーナーのこだわり」と表現することが多いけど、もっと俗っぽい言い方をすると、ズバリ「偏愛」。

別に古着屋でなくて、カフェでもいい。

ライフスタイル系ってみんな似てね?

愛読するビジネス誌『Firbes JAPAN』で一番好きなのが、毎号後ろの方に連載されている 電通総研』の記事。

こないだちょうど「偏愛」について書かれていた。これがすごくいい!

いまは多くの人が検索順位という形で機械的に編集された情報に触れている。セレクトショップの品揃えや、商業施設の店もどこか似ている。似た条件下で効率を優先すると「編集」は傾向が同じになる。傾向が読めるものは最終的にAIでも代替ができてしまう。一方、「偏愛」は人間ならではのものだ。気になることを、どこまでも突き詰めてしまう。

そうそう、僕らはテクノロジーの恩恵によって、おせっかいとも言えるくらい欲しい情報がお膳立てされている。

でも、正直キャパオーバー!!!

「これからのライフスタイルってこうだよね?」的な理想形を提案するいわゆるライフスタイル系雑誌やメディアも、みーんな似たり寄ったり。

不特定多数のみーんなが“好きそうな”ものを、編集部の総意や方針にもとづいて「編集」しようとすると、同じようなテイストに収斂していく。

同じように収斂される、ってことは再現できるってこと。そうつまり、いずれAIでも代替できてしまうってわけ。

だからこそ、「偏愛」にフォーカスを当てたい。

僕らは偏愛に魅了される

偏愛とは、機械化、均質化する世界で、ユニークなものを生み出すための、人間の強みを生かした方法論ではないだろうか。さて、あなたの偏愛は何だろう?

なんだかわからないけど、古着屋やカフェのオーナーの世界観に引き込まれていく。

機械やデジタル、AIでは再現不能なオーナーズワールド。

気がつくと、足蹴に通うようになる。

自分だけが知っている穴場である状態がもっとも優越感が高くて、でもメディアに紹介されるとちょっと寂しい気持ちに。

次第にメディアに好きなように編集されてしまい、偏愛熱も冷めゆく。

その意味では、あまり人の手に触られていないうちが、偏愛純度がもっとも高いのだろう。

『偏愛マップ』コミュニケーション

で、ここで紹介したい一冊の本がある。

齋藤孝さんの著書『偏愛マップ』。

偏愛マップとは、1枚の紙(A4のペーパー)に、自分の偏愛するものをキーワード方式に書いたもの(マップ)。お互いマップを交換しながら会話をする。すると、癖のある人間が急に魅力的に思えてくるから不思議。

他人の世界がわかるだけでなく、自分の世界を知り、同時に広め深めることができる。共通する偏愛を通して、世代・男女の壁を越えて仲良くなれる。多種多様な効果のある実践的コミュニケーション・メソッド! それが偏愛マップなのです。

 

たとえば冒頭↑の画像なんか「ビートルズの偏愛ワールド」をマップ化したもの。

左から「ビートルズ以前」「ビートルズ時代」「オノ・ヨーコ時代」と時代別にわけている。偏愛の履歴が一目でわかる。ふむむ、「ラブ&ピース」へとたどり着くその変遷もみえてくる。

 

「偏愛マップ」を開示することで、その人がそんな人なのか?といった人となり、その人がつくりあげてきた世界、個性とはつまりその人が持つ「世界」そのもの。

さほど有名でもない俳優やマイナーとも言える趣味を偏愛している者同士が出会うと、たがいに承認し合い、意気投合して一気に距離が縮まる。

『偏愛マップ』飲み会なんてのも

なによりおもしろいのは、「偏愛」の裏側にあるその人の信条というか価値観なわけで、AとBとC、一見バラバラな“偏愛物”であっても、根っこではつながっていたりする。

「偏愛マップ」を持ち寄って飲み会なんておもしろそう。

可視化された偏愛物を通じてよりたがいの理解が深まるし、そうでなくても十人十色であることを知ることで他人への許容範囲も広がりそう。

偏愛そのものがメディア

最後、編集の話に戻るけど、

そうなると、既存の編集者たちは「じゃあ、偏愛物を集めたメディアをつくろう」って発想になるんだろうか(てか、今までもそうだったのかも)。でもそれだと結果的に編集のメスが入ってしまう。本末が転倒。

商業主義や読者に媚び出すと、メディアとしてのエッジやおもしろみが反比例していく。

だからオーナーの偏愛が担保されたまんまの手付かずのカフェがいいのか。

そうか、それ自体がもはやメディア。

だからそれ以上イジるなよってことだな。



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