字余りソングに仕事における本質的価値ってやつを垣間みた

字余りソングに仕事における本質的価値ってやつを垣間みた

字余りソングは 最高にクールだ。

『イメージの詩(うた)』

最初に衝撃を受けたのが、吉田拓郎のデビュー曲『イメージの詩(うた)』(’70年)。

リリースされて何十年も経っていたけど、「なんやこれ、字余り具合がハンパない!」とショック状態に。

よく語られる「古い水夫と新しい水夫」のくだりの謎めいた歌詞もさることながら、聴いたあとの余韻がすごい。

『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』

もう一曲が、かまやつひろしの『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』(’75年)。

「ぐわ!なんだ、この世界観!!!」

斬新なジャケデザイン、そしてマツコデラックスばりに快刀乱麻を断つ歌詞。

君はたとえそれがすごく小さな事でも
何かに凝ったり狂ったりした事があるかい
たとえばそれがミック・ジャガーでも
アンティックの時計でも
どこかの安いバーボンのウィスキーでも
そうさなにかに凝らなくてはダメだ
狂ったように凝れば凝るほど
君は一人の人間として
しあわせな道をあるいているだろう

かの小西康陽も絶賛である。

カウンターとしての字余りソング

なぜ、字余りソングが生まれたか。

やはり時代背景にある。学生運動に代表される若者たちの熱気、ポップ文化へのアンチテーゼ、アメリカン・フォークの影響…。

あまりに熱くなったもんだから、メッセージが前へ前へと先行し、メロディーは置いてけぼりになった。そう、熱量を大量に帯びすぎて、目盛りがふり切れた結果、字余りになったというわけ。

『ゴロワーズ〜』も’75年の発売当初の評判は散々だったらしいが、90年代アシッド・ジャズブームで再評価されたと言われている。

そう、アシッド・ジャズも 実はアシッド・ハウスへのカウンターだったんだよね。

「感情」が割り込む余地

字余りをダサいと思うか、クールと思うかは人それぞれだけど、僕からすると、どちらも最高に耳心地がいい。

以前書いたけど、これって、先週「情熱大陸」に出てたプランナーさん、僕が毎朝必聴してるラジオDJさんらと共通している。

歌や声を聴いていると「かっこいい!」とか「素敵だなあ」とか、「感情」が割り込む余地が大きい。

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字余りソングって、一見ヘンテコなんだけど、なぜか惹き付けられる。作品として、成果物として成立している。

むしろ、字余りという表層的なところだけをかいつまんで語ること自体が、ダサい。

本質を見なきゃいかん。

さいごに

字余りソングは本当にクールだ。

前職、経産省でクールジャパンの仕事をしていた僕が太鼓判を押すくらいに。

 

嗚呼、またもや仕事における本質的価値ってやつを垣間みた。

いま巷ではレコードブームらしいが、かつて僕もけやき通り沿いの田口商店というレコード屋によく出入りしていた。

今度ひさしぶりに行ってみようかな。

 

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