「iPhone的な身体性」になれてしまったがゆえに起こる副作用

ゾエ (Yuki Kawazoe) 
「iPhone的な身体性」になれてしまったがゆえに起こる副作用

もうほんとむちゃくちゃ世の中の変化が早いです。

で、さっきこんなツイートをしたんですが、

これってなんというか「iPhone的な身体性」になれてしまったがゆえに起こる副作用みたいなもので、一つ一つのアクションの継ぎ目がいかにスムーズかってことが、働きやすさや生活のしやすさにも直結してくるなあと思うのです。

  • 電話・メール・SNSなどあらゆるコミュ手段がひとつに収まっている
  • LINEやメッセンジャーで、相互矢継ぎ早にメッセージやりとりできる
  • 音楽聞きながら支払い処理できたり、ビジネスとエンタメを同時並行に進行できる
  • ホームボタン(iPhoneXを除く)を押せば、元の位置に戻れる

あたりまえのことですが、身体が慣れちゃってます。いまさらガラケー、戻れんです。なんなら初代iPhoneでさえ、かなりのストレスを感じるはずです。

「スマート○○」「スマ○」といった造語の乱立に象徴されるように、いかにスマートであるか?ってのが、市場の至上命題みたいになってきたことに気づかないといけない。

もっとも、従来型のアナログであまりシステムを介在させない「ツギハギ」こそに価値を見出すこともできるし、そうでなければUI/UXを磨き「スマート」なサービスを提供し続けないといけない。

たとえるなら、前者がたった一冊しか本を売らない「森岡書店」なら、後者は「amazon」。

これからAI化が進めば進むほど、中間の領域はだんだん狭まっていく。

どちらに身を振るのか?それとも?



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